EQ サーバー今昔

 

 当時 EverQuest で使われていたサーバーの構成がどのようなものだったのか、自分の中にぼんやりとあったイメージが今になって覆された。

 今回はゲームの話はあまり出てこない。しかも若干専門的な話になるので、当時の EQ プレーヤーでかつ IT 関係の人向け。想定される読者は数人しか思い浮かばんw というニッチ・オブ・ザ・ニッチなお話。

あの頃の我々はデスクトップ PC の中のノーラスにいた

 1997 年頃の私は駆け出しの IT エンジニアで、この頃遊んでいたのは Ultima Online である。

 ゲームでこれほど熱狂したのは初めてだったし、周囲のゲーム仲間と半狂乱で遊んでいた。あまりにも熱くなりすぎて、しまいには中に住んでいた。同時に、これほどのものをどうやって動かしているのかいつも仕組みが気になったし、とりわけどんなハードウェアやソフトウェアが使われているのかについては、ことあるごとに周囲と議論していた記憶がある。

 遊び始めたころは、とにかく貧乏だった。

 ヒスロス西の山 に友人が一番小さい鍛冶小屋を持っていたので、そこに住み込んで鉱山労働者である。

 

 

 ここは近くにデーモンやドラゴンが湧くとんでもない立地で、稀に PK も湧くのでぶっ殺されながら鉄を掘りまくって鍛冶で稼ぐということを友人らと続けていた。そして、Large Smith という形式のハウジング、通称 LS を買った。

 当時の SS は残念ながら残っていないのでこれは別の人の家だが、大体こんなイメージだ。玄関がある部屋にはカウンターがあり、お客さんとアイテムのやり取りができる。

 

https://uo.stratics.com/homes/images/bigsmith2.jpg

 

 LS を建てたのはヒスロスのようなバカみたいな土地ではない。ブリテンは東のはずれにある 半島の先端ブリテンからベスパー行きの街道脇にあり、けっして都会ではないものの田舎過ぎることも無いという立地だ。

 今思えばこの LS という家の間取りは本当に使い勝手が良かった。のちに近所にタワーを建てることになるのだが、広いわりに使いずらく、遊んでいたのはもっぱらこの LS のほうだった。

 

 

 店の名前は I. H. I. (Iron-ore Heavy Industry) という、荒唐無稽さを狙っているようでいて中二に勘違いされる危険性もある名前だ。ここでは HQ 武器や HQ プレートアーマー袋詰め、毒、手りゅう弾などを手ごろな価格で売りまくっていた。

 原料の鉄は相変わらずあのヒスロス島の掘っ立て小屋で、湧く場所は全部覚えている。スコップもその鉄で作っているのでタダ。掘っているあいだは完全に無防備だから PK に鉱石ごと根こそぎ持っていかれることもあるが、相当な売り上げだった記憶がある。

 店番をしていると、お客さんが傷んだ装備を持ち込んでくるので修理をする。

 すると幽霊も来店。

「oOooOoOOoo」

 などとつぶやいている。蘇生しろという意味なので蘇生してやる。この人物は PKK (PK を成敗する連中) なので、PK にやられたのだろう。

「いつものやつくれ」

「はいカタナとフルプレート。PKK も大変やね」

「金は後で持ってくる」

「きーつけや」

 出ていくと、修理を待っていた客 (PK) がボソり。

「こないだぶっ殺したやつの装備、ココの銘が入っててわろたわ」

「まいどw」

 なーんてお客さんと日々カウンター越しに世間話をする。

 おおよそ戦闘とはかけ離れた日常、そんなものが信じられないほど楽しかった。

 我々の会話には相当な偏りがあったように思う。

 時代が時代だ。Internet を使っていることそのものがレアだったし、それ自体も夜 11 時からしか使えない代物で、しかも外国のサービスに月額いくらで金を払って朝まで遊んでいるような人間と言えば、自然と IT を生業にしているプレイヤーの割合が多くなる。

 そうしたお客さんの中にはやはり私のようなネットワークエンジニアもいたし、ここで出会ったヤツらはその後同僚となり今でも同じ職場である。

 UO には〝サーバー境界〟とプレーヤー間で呼ばれている現象がフィールドにあり、プレーヤーは自分が住んでいるこの UO サーバーはさらに細かい物理サーバーの集合体であることを実体験として認識しており、特に IT に強い我々のようなプレイヤーにはすんなり理解されていた。

https://www.uoguide.com/images/thumb/f/fc/Trammel_map.jpg/1200px-Trammel_map.jpg

 そういった連中と話をしていると、いろんな情報が入ってくる。

 噂によれば、このサービスにはハードウェアに Sun が使われており、となれば OS は当然 Solaris という〝商用 UNIX〟で、C で書かれたサーバーソフトウェアが稼働しているらしい。

 

 自分で記憶の捏造をしていないか今頃になって改めて調べてみると、この噂話はどうやら 正しかった らしい。

 当時の 開発者の証言 にもあるように Sun Ultra 2 が使われていたことがわかる。

 

Sun Ultra 2

 

 ワークステーションとしてデスクトップにするとこのような見た目になるが、実際はラックに大量に横積みされていたと思われる。1 シャードで 10 台の Sun が使われていたらしい。

 

 商用 UNIX とはーー今ではもう死語になっているので、分かる人は 40 代かそれよりも上の世代だろうがーー商品として売られている UNIX の総称である。とはいえ、今はもう滅んだか良くても絶滅危惧種になって久しいのだが、1990 年代の UNIX ベンダーは ドットコムバブル の勢いに乗って隆盛を極めていた。

 

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/8/84/Nasdaq_Composite_dot-com_bubble.svg/langja-525px-Nasdaq_Composite_dot-com_bubble.svg.png

 

 UO はそういう波に乗って成功していた Sun をふんだんに使った野心的なプロジェクトだったことがわかる。とはいってもとても高価なものだったので、零細企業にいた私にとっては PC 雑誌で読むだけの遠い存在だった。

 一方私は仕事や遊びで使う OS は学生のころからずっと FreeBSDLinux など、安価な PC で動くフリーな UNIX、つまり〝商用ではない UNIX〟である。使う場所や使い方を誤らなければそうしたフリーソフトでも業務で使えるという確信があった。

 その後職場が変わって、周囲にそうした高価な製品も散見するようになってもその考えは全く変わらなかった。それどころかより強化された。この頃の Sun はべらぼうに高いくせに見合った性能は出ず、Solaris はお世辞にも使い勝手が良いとは言い難く、それを改善しようとして足掻けば足掻くほどフリーソフトまみれになる。

ーーこんなに高価なものを買っておいて結局何がしたいんだ?

 そういうフラストレーションだ。

 投資にはバランス感覚がいる。ブランド信仰など捨てて PC UNIX にして浮いた金で他の弱い部分に投資すべきじゃないのかといった案件はいくらでもあった。

 しかし、1990 年代も前半は PC UNIX に業務レベルの信頼を寄せるような使われ方は、残念ながらまだまだ一般的ではなかったように思う。LinuxFreeBSD は〝おもちゃ〟という認識が強かったし、実際ハードウェアもソフトウェアも、Sun や HP のようないわゆる〝商用 UNIX〟の品質には及ばない部分があったのも確かだ。

 1999 年に EQ で遊び始めたころも、私はてっきりこのサービスにも UO のように高価なハードウェアが大量に投入されているのだろうと勝手に想像していた。

 

 あれから 20 年。

 EQ のサーバーで使われていたものはどういうハードウェアだったのかふと気になって、Google で掘ってみた。

 とっかかりに見つけたのは IEEE の 2005 年の 記事。ここから 20 ~ 30 台の物理サーバーのクラスターで一つの EQ サーバーを構成しているということが分かった。

 具体的に何の OS かまではわからないが、少なくとも UNIX であることは明記されている。

 Sun のラインナップで言えば Sun Enterprise だろうが、どのモデルだろうか。

 あの頃の主力だったものだと、400MHz デュアル CPU、メモリー 512MB という仕様で一台一千万を超えることも少なくなかったから、単純計算だと一つの EQ サーバーを増設するたびに数億円はかかっていたことになる。

 いくら〝massively〟とは言え、一つの EQ サーバーに収容できるプレーヤー人口は限られているので、月額 10 ドルのサービスでこんな投資を回収しようとしていたとは考えにくい。

 振り出しに戻って掘り直してみると、興味深い 記事 を見つけた。

 サンディエゴ・ローカルな PC ショップ〝Corporate Computer Centers, Inc.〟のウェブページにある〝SOE からサーバーを受注した〟という記述だ。

 このショップは地理的に言っても SOE から車で 7 分程度の位置にあり、なんと今でも営業しているという老舗だ。このショップのドメイン hotchip.com を whois で調べてみると 1995 年に登録 されている。

 この会社はただその辺にある PC ショップとは異なり、元から空軍や航空業界と取引があるらしく、信頼性が要求される領域の仕事をしていたようだ。

 PC UNIX に強く、端末よりもサーバーを求める客が多く、自然と信頼性を重視するようになる。そういう PC ショップと言えば、私が思い浮かべるのは当時の秋葉原Plat'Home日本橋ふぁすとばっく で、それらに近い雰囲気だったのかもしれない。

 

 

 このページに掲載されている写真によれば、SOE のデータセンターに並べられた 19 インチラックに BTO らしきデスクトップ PC が詰め込められている様子がわかる。

 私の想像に反して、なんと彼らは安価な PC を物理サーバーに使っていた。

 当然 OS は PC UNIX だ。

 この構成であれば、20 〜 30 台のデスクトップ PC とそれらを束ねるスイッチ、それとコンソールサーバーで済むのだから、Sun と比べるまでもなくとんでもなく安上がりになる。下手をすると一つの EQ サーバーに対して 1000 万円前後で済ませていた可能性があり、1 EQ サーバーあたり一万人を収容していたと仮定すると、数か月で投資を回収していた計算だ。

 あれほど我々を熱狂させたノーラスは、廉価なデスクトップ PC の中で生きていたのだった。

 すると、サービス品質もそれなりだったのだろうか?

 そもそも、当時の我々のゲームサーバーに対する安定性の評価は著しく低い。UO ではサーバークラッシュ → 巻き戻しコンボに定期的に泣かされてきた (しかもそれが当たり前だと思っていた) 我々からすれば、EQ サーバーなんて天国と思えるほど安定していた。

 EQ サーバーのクラッシュといえば、このあまりにも有名な伝説の男以外に記憶が無い。

www.youtube.com

 

 今の基準で考えても UO はかなり不安定なサービスだったし、対する EQ はそれとは対照的だった。

 結局物理や OS は何であれ上で動いているアプリケーションレイヤーの堅牢性の問題であり、この時代はもう PC UNIX は立派に商業サービスを遂行できる水準にあった。それは Yahoo や hotmail などの大規模なサービスですでに実証されていたことからもわかる。

 思い起こせば、1990 年代は〝商用 UNIX〟からフリー UNIX への転換期だったように思う。

 1990 年代前半はともかく、後半は Windows 95 による Internet の普及のような社会的な背景もあって、急速に PC が発展した。PC の発展と同時に、中小企業のオフィスでもサーバーの需要が増えてくる。

 Intel はその需要に応えるべく、また自分らの生存を脅かそうとしていた SGI や Sun を代表とする RISC 陣営への対抗措置として 1995 年の Pentium Pro、1998 年の Pentium II Xeon などのサーバー用 CPU を出し、それらを使った PC サーバー製品が出そろってきたのもこの頃だ。商用 UNIX 市場はローエンドから徐々に切り崩されていった。

 それも当然だろう。

 中小企業からすれば Sun なんて高価なものは買えないし、1/10 未満の価格で同じことができるのならば躊躇なく PC のほうを選ぶのが道理だ。〝ドリルを買う人が欲しいのは穴である〟という格言そのものである。

 おもちゃという誹りなどものともせずフリー UNIX を趣味で開発していたギークたちは弱点を克服していき、特に Linux の成長は破竹のごとくで、2000 年代にも入ると商用 UNIX は虫の息になっていた。

 この記事 によれば、UO は 2003 年に Sun から Linux に乗り換えており、その結果設備のコストが劇的に改善されたらしい。

 その後の Sun は短期間で凋落し、Oracle に買収されてからはご存じの通りだ。

 1997 年というサーバー OS 戦国時代に SOE が PC UNIX を選択したのは自然な流れだったのかもしれない。

 

 ところで、どうして〝PC UNIX〟みたいなぼかした言い方をしているのだろうと不思議に思っているかもしれない。今はもうそんな言い方はしない、なぜなら UNIX と言えば Linux のことだからだ。

 今でもそれに異論を唱える人はいるかもしれない。FreeBSD で育った私も心情的にはそう思いたい。当時はまだ FreeBSD は高負荷に強いというイメージが強かったから、〝もしかすると FreeBSD かも〟とあれこれ Google で掘ってみるものの、残念ながら EQ で使われていた OS はわからないままである。

 EQ の開発が本格的になったのはおそらく 1997 年頃、ということは、その時代に商用サービスに耐える PC UNIX でポピュラーなものは LinuxFreeBSD だろう。また商用サポートがあるものは BSD/OS, SUSE, RedHat ぐらいだ。

我々を熱狂させていたあの世界の影に一つの PC ショップの存在

 このローカルな PC ショップのログを読んでいると、目頭が熱くなる。

 あの頃の EverQuest の加入者の急速な増加に追従するためのサーバーの増強作業に現場がてんてこ舞いしていたことが伺えるからだ。おかげで、このページを書く気にしてくれた内容だった。

 ここでは、それを追ってみよう。

 1997 年頃、数台のデスクトップ PC を並べたような状態から開発がスタートし、ゾーンが増えていくごとに、またベータテスターによる負荷テストでクラスターの台数を調整して 1999 年 3 月のローンチを迎えた。

 写真でもわかるように、初めはデスクトップ PC を 19 インチラックに積んでいたようだ。

 Sony のデータセンターのラックが 48U だったと仮定すると、写真のようなミドルタワー PC は 4 段が限界だろう。つまり 1 ラックあたり 12 台しかマウントできないという、うんざりするような密度の低さだ。ここから、1 つの EQ サーバーは少なくともラック 2 本が必要になる。ローンチ時の EQ サーバーは 26 存在したため、EQ だけで 55 本ものラックを占有していたことになる。

 今の時代ならいざ知らず、当時の Sony のデータセンターにそんな空きは無かっただろうし、急遽フロアをつぶすなりして増設工事をしたに違いない。

 この密度だから熱問題がほとんど無いのは救いだ。

 しかし、ログはローンチのたった 4 か月前から始まる。

 

1998 年 12 月 13 日: Sony からサーバーを受注

 当社は本日、大規模なサーバー発注の第一弾を受注した。Sony の一部門である 989 Studio のサーバーは、最新のインターネットゲーム技術に使用される。989 Studio が待ち望んでいた EverQuest オンライン・インターネット RPG は、当社の Hotchip PowerServer システムで稼働する。250 台以上のカスタム設計のサーバーが、10 万人以上の同時ユーザーをサポートする。価格、構成、サービスとサポートの観点で 989 Studios はこのミッションクリティカルなアプリケーションのために、大手有名ブランドや地元の競合他社よりも当社を選択した。

 

 記事によれば SOE から 250 台を受注したとあり、これは 10 前後の EQ サーバーにあたる。ローンチ時 26 だったことを考えると、わずか 4 か月前には 16 前後しかなかったことになる。

 ここで注意が必要なのは〝納品した〟ではなく〝受注した〟である。

 時期はクリスマス直前だ。色んな関係者が発狂したに違いない。

 というのも、EverQuest は PC ゲーム史上最大の事前予約を取ったタイトルになったためーーそのうちの 1 本は間違いなく私だーーどう計算しても用意した 16 サーバーでは捌きようがないと腹をくくったのだろう。

 いくら中身がよくても、ローンチに味噌が付くとその後長く尾を引くケースは多く、このままだとせっかくのローンチという晴れ舞台が台無しになる。

 この段階で大量の PC サーバーを調達せざるを得なかった SOE もギリギリの判断をして結果大正解だったし、これほどの短納期を受けることができる業者を探す立場に立ってみると、小回りの利くローカルな PC ショップを偶然見つけられたのは幸いだったのかもしれない。

 SOE 側のネットワーク設定、サーバーテスト、インストール、調整がどの程度の作業量だったのかは全く不明だが、当時の SOE の運用が結構出たとこ勝負な印象もあり、すべて手作業だった可能性が高い。すると、引き渡しからローンチまでの期間はできるだけ長くとりたかったはずだ。

 となると、ショップに与えられたタイムフレームは数週間しかなく、その間でパーツの調達、開梱、組付け、単体テスト、運送、ラッキング、配線、結合テスト、これらを完了させなければならなかったことになる。

 しかもこのショップは信頼性をうたい文句にしているので、バーンインテストもこの中に含まれる。おそらくこれが一番時間を食う。この台数だとショップ側の電源設備では全然足らないだろうし、オンサイトで実施せざるを得ない。これだけの台数が対象だと高負荷時に落ちるような個体も出てくるので、都度オンサイト対応するような小回りも要求されるし、下手をすると現場に張り付いていたかもしれない。

 近所に立地していたからこそ、そうした迅速なサポートも可能だったはずだ。

 しかも結局 26 でも足らなかったので一か月後に 1 つ追加されている。

 この受注から 3 か月後に現在の住所の土地と建物を購入したという記述からもわかる通り、この仕事がその後のこのショップのビジネスを固めたらしい。

 

2000 年 1 月 17 日: 989 Studio の新サーバーを納入

 当社は、989 Studio (Sony の一部門) に、同社の人気オンライン RPGEverQuest」を支えるサーバーを追加納入した。これらの新しいサーバーファームは、EverQuestトラフィックの増加と将来の拡張をサポートするために、性能が強化され、特殊なラックマウント可能な筐体を備えている。

 

 ここで〝ラックマウント可能な筐体〟と言っているものの、それが何 U かまでは明記していない。この時代に存在したラックマウント型の PC なんて、例の 4U の産業用の筐体しかなかったので、あえて 4U とは明記しなかったのかもしれない。

 私が使っていたのは、例えばこういう箱だ。

 確かにこの時代は PC UNIX のハードウェア選びに苦労させられた。

 今でこそ〝サーバー〟といえば 19 インチラックにマウントするのが当然になったが、ラックにマウントしていたハードウェアは元々はルーターやスイッチ、パッチパネルなどの通信機器だけだ。

 その頃のサーバーは単に床置きしたり、手狭になってくると昔なじみのスチール製の什器にベルトで固定してなんとか縦に伸ばしていた。そしてサーバーの数が増えてくると、19 インチラックの棚板にベルトで固定して密度 (床面積あたりの台数) を上げていた。

 ラックマウント型のサーバー製品はまだ少なく、あっても 10U を超えるようなフォールトトレラントを謳う勘定系向けの高価なもの、或いは ISA バスがやたら多くとても頑強だがクロックの低い産業向けのものというふうに両極端で、我々が必要としているような安くてただひたすら数字を食らう〝ナンバークランチャー (計算機)〟は無い。

 結局は自分らで工夫せざるを得なかった苦い記憶がある。

 Supermicro や Tyan 等が供給していたサーバー・ワークステーション向けのデュアルソケットなマザーボードを産業用のラックマウント筐体に無理やり収めるという泥臭い作業だ。

 そういう使い方をすると、この筐体には問題が山ほどあった。私が作っていたものはほとんどが科学技術計算向けのサーバーなので pxe boot、つまりローカルストレージは不要だったのだが、それでも DNS などのインフラや NFS サーバーなど必要な場面がある。そういうものには InfortrendMylex などのハードウェア SCSI RAID カードと SCSI ディスク 2 本を入れて RAID1 をして / を確保する必要があった。無理に収めようとすると色んな金具に干渉するため、グラインダーで削ったりなどの金属加工をせざるを得なかった。

 この 4U のラックマウント筐体の利点は、デスクトップ PC と全く同じつくりになっているため汎用性が極めて高いという点なのだが、単に PC を 19 インチラックに耳で固定できるようにしただけである。

 こうした産業用ケースは厚みが 4U もあったので、棚板にデスクトップを載せるようなうんざりマウントと密度がたいして変わらないという暗黒時代が何年か続いた。

 そもそも、ATX な PC は 1U (44.45mm) まで薄くできるようには設計されていない。つまり仕様の問題なので、我々ユーザーレベルでは回避できずに諦めていたように思う。

 

2000 年 3 月 30 日: SOE の大規模サーバー更改および拡張プロジェクトを完了

 新しい EverQuest 拡張パックをサポートするため、SOE は当社に発注した。400 台以上の既存のデスクトップ型サーバーが 2U ラックマウント型サーバーに置き換えられ、170 台の新しいサーバーが 3 週間で納品された。この拡張工事中も EverQuest はオンライン状態を維持し、相変わらずの人気を誇っている。プロジェクトは記録的な速さで完了し、新拡張パックは予定通りリリースされ、絶賛された。

 

 ここで触れられている〝新拡張パック〟とは Kunark のことだ。

 一年以上 EverQuest を支えてきたデスクトップ型 PC は、ここで退役したらしい。ようやく今時のラックマウント型になった。

 この時代に私が使っていた 2U は、Supermicro だとこんな感じだ。この箱はたくさん使った記憶がある。

 おそらく、Sony のデータセンターのフロアが EQ サーバーで一杯になったため、既存のサーバーをどうにかして物理的に圧縮する必要が出てきたのと、この頃にはようやく安価な 2U サーバーが市場に出そろってきたのもあって、それに置き換える作業をオンライン状態で敢行したらしい。

 確かに 2U であれば 1 つの EQ サーバーをラック 1.25 本で作ることができる。

 しかし、2U のラックマウント型とは言ってもまだまだ PC に毛が生えた程度のもので、今時は当たり前になった IPMI などは無いから、シリアルポートを大量に生やしたコンソールサーバーが必要だったはずだ。

 

2001 年 5 月 20 日: SOEEverQuest 用の第 3 世代サーバーを納入

 この最新の高性能サーバーは、大ヒットを記録したオンラインゲーム「EverQuest」用で、これまでの性能とサイズの基準を打ち破るものだ。高さわずか 1U の各サーバーは、オリジナルの EverQuest サーバーの 4 倍以上の性能を持ち、設置スペースは 4 分の 1 になる。これらの新しいサーバーは、当社が EverQuest プロジェクトのためにカスタム設計したもので、優れた価格で高性能を提供する。この小型で高性能なサーバーは、将来的なサーバー拡張の余地を残しつつ、多くの追加ユーザーや EverQuest 環境のアップグレードをサポートする。

 

 この時点でようやく 1U サーバーを使い始めたらしい。例えば Supermicro で言えばこんな感じ。この筐体は色々辛酸をなめさせられた、懐かしい箱だ。

 これで EQ サーバーあたり 1 ラック未満 (0.7 本) にまで密度が上がった。

 この時に導入された 1U サーバーらしきものを撤去したときの珍しい 写真 を見つけた。今時は当たり前になった冗長電源は装備していない。この時代の 1U サーバーはかなり無理をして詰め込んでいたため、冗長電源を備えた製品はまだ市場に無かったように思う。

 私の周りで導入した 1U サーバーに関して言えば、熱の問題が解決できなかった。特にマザーボードVRM が燃える問題が頻発していたため、一時期は空間に余裕のある 2U ばかり買っていた。

当時のサーバーのメモリー事情

 閑話休題、EQ の開発がはじまった 1997 年当時に調達できる PC サーバーの仕様を想像してみよう。

 サーバー向けに作られた CPU である Pentium Pro はメモリースロットが 4 本のマザーボードが一般的だった。メモリーはモジュールあたり 64MB が最大だったので SMP 構成だと一台あたり 512MB が価格的に合理性のとれる容量だろう。

 MMORPG のサーバープログラムは、ログインしているユーザーデータをどのように扱っているのだろうか。データベースへの I/O はレイテンシーが大きいため、ログイン・ログアウト・ゾーン、その他はルートやトレードなどのアイテムが絡む操作以外ではデータベースへアクセスしない。PC や NPC のパラメータのほとんどはサーバー上のメモリーに置かれている。

 メモリーに障害が発生すると多くのプレイヤーに影響を与えるため、エラーを検知できる ECCモリーを使っていたはずだ。となるとモリーだけで一台あたり 25 万、EQ サーバーあたり 600 万以上はかかっている。システムの半分がメモリーコストである。

 そういえば、あの頃の EQ でルートやトレード後にログに出ていた

Soandso saved.

 というのは、データベースへのライトだったのだろう。

 また、ゾーンを動かしているサーバープロセスは物理サーバーをまたぐことができないと推測できるので、ゾーン内の PC / NPC 数には上限があったはずである。

 だからサーバーコードの設計もメモリーリソースに関してはシビアだったはずだ。

 例えば、ローンチ当初のノーラスに二匹しかいなかったドラゴンの 32k という HP である。32k は 16 ビットで表現できる最大値だ。16 ビットは 0 〜 65,535 を表現でき、これに符号を付けると -32,768 〜 32,767 となる。負の HP が必要なのは気絶状態、いわゆる紫バーを表現したかったからかもしれない。

 ノーラスのモブの HP は a bat からドラゴンまで 2 バイトしか確保されていなかったというのは P99 で遊ぶようになるまで知らなかった。ドラクエの 255 というステータス上限を知って「8 ビットか」と急に現実に引き戻されて覚めてしまったあの遠い記憶のデジャブである。

 とはいえ、モブ単体の状態を保持する構造体は HP だけではなく MP、位置 (x, y, z)、向いている角度、ヘイトリスト、バフ・デバフとそれらのタイマー、持っているお宝など、想像以上に多い。ゾーンに 100 体のモブがいたらそれらの情報 x 100 をオンメモリーにしなければならない。極端な例だと、ドラクエ X の 2012 年の インタビュー記事 では数百 KB もあったという。

 当時何もないところから開発されたネトゲの EQ は、サーバーもクライアントも今からすると考えられないほど貧弱だったことを思えば、EQ の〝ゾーン〟という原始的な設計はとても手堅い選択だったと思う。

 1999 年当時の Gateway が PC Magazine に出していた広告では、ミッドレンジのデスクトップ PC はこんな仕様である。

 そういう仕組みを使わざるを得なかった理由から推測すると、ゾーンがサーバーをまたいで処理することができないという仮定も成り立つし、であるならば

 ゾーンに入れるキャラ数の上限 + NPC < PC サーバーのメモリー容量

 という問題を抱えていたはずだ。フリーポートが 3 つのゾーンに分割されていたのもそのせいだろう。だから、サーバープログラムが使うメモリーはできるだけケチっていた。

 しかしこのままだと流石に今後のゲームデザインに支障をきたすし、この時代はまだムーアの法則が健在でメモリー容量も年々増えていたので、Velious から HP 上限を引き上げた。このとき 32 ビットに拡張したと仮定すると、−2,147,483,648 ~ 2,147,483,647 なので、HP 上限は 2.1 ギガ (21 億) となる。

 いくらドラゴンボール症候群から逃れられなかった EQ とはいえ、さすがにこの上限には未だ達していないだろう。(と思いたい)

 

 なにはともあれ、感慨深いのは、これほど人々に期待され、その需要に立派に応えることのできたプロジェクトはかなり稀なことだ。

 数か月でサーバー数をドンと増やす判断は PC UNIX を採用していなければ成しえなかった。増設しないままだととんでもないログインゲーを強いられ、酸っぱいローンチになっていただろう。

 そして、SOE からの無茶な発注を迅速にこなしていたこのローカルな PC ショップの存在である。確かに、急成長している企業の案件の中には融通の利かない大規模 SIer よりもこうした小回りの利く地場のショップのほうが重宝されるような場面は少なくなかった。

 

 このゲームはその後の MMORPG の設計に、いい意味でも悪い意味でも大きな影響を与えたことは疑いようがないのだが、

それも盛者必衰。

 2004 年に Blizzard との勝負に大敗を喫してから、いいやその前から雲行きが怪しくなっていた前兆は、今思えば至る所にあった。

 EQ、EQ2、SWG と、こんな超重量級のプロダクトを 3 本も抱えて、社内で開発者の奪い合いもあったようだし、だらだら低空飛行になるしで、そんな状態でうまくいくわけがないことは子供でもわかる。

 2012 年 3 月、PS 版 EverQuest、SWG をシャットダウンし、この年 Sony は色んなものを一斉に清算した。EverQuest は月額課金から Free to Play になったのもこの年になる。

 そして 2015 年 2 月、SonyEverQuest を投資会社に売り、現在は Daybreak が運用している。

 彼らの開発能力は、まぁ、お察しというほかはない。

 かろうじて黒、というような状態だろう。彼らはどうやって食っているのかというと、郷愁という強い感情を応用したビジネス だ。

 TLP サーバーは、他のライブサーバーの F2P ではなく月額課金をしていないとログインできない特別なサーバーだ。

 しかも、これがまた気の毒なビジネスをしている。

 TLP サーバーは定期的にリリースされており、20 年前に EQ で遊んでいた人々がバナー広告などに寄せられて来るのだが、ローンチは毎回ログインゲー。それを改善するつもりも無いらしい。

 EQ の生みの親で 2019 年末に亡くなった Brad McQuaid のキャラ名を冠した TLP サーバー Aradune の 2020 年 5 月のローンチ時は本当に悲惨だったらしい。このフォーラム を読むと 2 時間近いログインキュー、それを乗り越えて少し遊んだだけで簡単にクライアントがクラッシュし、そしてまた 2 時間のキューの表示を見て泣き寝入りするという当時の状況が淡々と綴られている。

 そんな酸っぱい経験を強いられてやめていった人々は、もうこんなコンテンツには二度と近づかないだろう。

 これの何が痛々しいのかって、彼らはただのランダム・プレーヤーではない。1999 年から数年という限られた期間に EQ という類を見ないコンテンツを経験した〝地下資源〟であり、掘ったら最後、もう二度と作ることのできない顧客である。

 彼らは 20 年も前のゲームにわざわざ 15 ドルを支払っている。このサーバーは 2 クライアントまで許されていたので、人によっては 30 ドル、スロット数が多いカバンを買ったり勢い余って経験値ポーションを買い込んだりしていると、下手をすると数万円を支払っている人も中にはいる。

 勿論 Daybreak も意図してやっているのではないのだろうが、人々の郷愁という感情を搾取するビジネスに見えてしまうし、やはり一番深刻なのは EverQuest というブランドを自ら毀損している ということだ。

 それもひとえに彼らの人的リソースの足りなさが招いている。

 例えば、目を疑うニュースがある。

 サーバーとクライアントを 64 ビット化した というものだ。だからその OS って何だっつーの! いいや突っ込みどころはそこじゃなくて、

2022 年まで 32 ビットだったのか!

 という点である。

 32 ビットコードは 4GB までのメモリーしかアクセスできず、予約域などを引いていくと実質 3GB しか使えないという制限がある。

 なんと、EQ は 20 年以上も 3GB のメモリーしか使えないサーバー環境で頑張っていたらしい。

 1997 年当時に市場に存在しないサービスを書いていたぐらいだから、かなりローレベルなライブラリもインハウスで書いていただろう。

 Blizzard に完敗して有力な開発者の流出も経験したあとで、はたして今動かしているコードが 64 ビット・クリーンなのかどうかなんて藁の中の針だ。

 とりあえず今はなんとか動いている (みたいだ) し、特に深刻な問題も起きていないのだから、TLP ローンチの若干の混乱程度ならこのまま やり過ごそう。と、そういう想像が簡単にできてしまう。

 なにより噴飯ものなのは、とうの昔にやっていて当たり前だったはずの仕事を

big project

 と自称していることだ。

 私はこのゲームが大好きなので彼らにも頑張ってほしいのだが、P99 や TAKP などのエミュサーバーのほうが余程うまくやっているように見える現状は、どうにも暗澹たる気分にさせられる。